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2024年11月04日
DJブース解放!SOCIAL TRUCK&PARKSに「MUSIC BOOTH」設置。当日参加歓迎!
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11/9(土)11/10(日)に栄オアシス21で開催する「SOCIAL TOWER MARKET」では、SOCIAL TRUCK&PARKSの一部に「MUSIC BOOTH」を設置し、いろいろな人にお気に入りのレコードをかけてもらう企画を実施します!



あなたの「大好きな曲」「マーケット会場でみんなと聴きたい曲」などなど、5分でも10分でも渾身の1曲でもOK!(1人最大30分程度予定)
ぜひお気に入りの曲をかけてください。

DJブースはアナログレコードのターンテーブルのみとなりますのでアナログレコードをお持ちいただける方に限ります。



当日受付をSOCIAL TRUCK&PARKSでいたしますので、スタッフにお声がけください。

また、前日に栄公園にて開催する『AFTER HOURS』でも、「MUSIC BOOTH」を設置いたします。(11/8(金)17〜21時)

MARKETを盛り上げてくれる、いい雰囲気にしてくる曲をかけてくれる方のご参加お待ちしています!!!


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2024年11月01日
11/9(土)10(日)開催「SOCIAL TOWER MARKET@オアシス」音楽ステージ出演者&タイムテーブル発表!
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11月のSOCIAL TOWER MARKET@オアシス21“霧の劇場”音楽ステージもすばらしいアーティストの皆様が出演いたします!観覧無料。名古屋のど真ん中で素敵な音楽に出会ってください!みんなで盛り上がりましょう!



▼音楽ステージ出演者
【11/9(土)】

THE ティバ
カナダからやってきたみんなのタイムマシーン的2ピースパワフルガレージバンド、THEティバ。メンバーは明智マヤ(vo,g)、サチ(ds,cho)の2名からなる。バンド名は仏チェコスロヴァキア合作アニメ映画『ファンタスティック・プラネット』のキャラクター“ティバ”に由来。2018年に結成。翌年にはスタークローラーの来日公演のサポートアクトやサマーソニック出演も経験。2020年に2枚の『THE PLANET TIVA』なるEPを発表。2021年のBearwearとのスプリットCDを経て、2022年に1stフル・アルバム『On This Planet』をリリース。同年フジロック出演。
2023年に3rd EP『we are the tiva 2』をリリース。同作から”wennie”が映画『ニューヨークオールドアパートメント』の日本版テーマソングに起用される。
Instagram/X


The Shiawase
2017年Vo.Gt.仲井”B.B.”陸、Ba.木村駿太で結成。
2024年にPerc.&MC.乳福亭WASABIが加入し現体制となる。
唯一無二のメロディセンスと等身大の歌詞、ブルースやロックンロールがルーツにありながらもジャンルにとらわれない自由なサウンドを併せ持つ。ライブではメンバーに加え、ドラム、キーボード、コーラス、ギター、MCなどのサポートメンバーが入り混じり、多幸感溢れる自由なライブを繰り広げる。
WEB/X/Instagram/Youtube


Cosmic Mauve
東京都町田市出身。5人組のサマーバンド。
様々な角度から夏を表現し続ける彼らの楽曲やライブからは、必ず日々の楽しさを感じることが出来る。
彼らに共通するのは、町田という町から発せられた常夏への憧れであろう。
音楽を通じて彼らは、日々に潜む生活の心地よさを、いつまでも心躍る軽快なサウンドで表現し続けてくれるだろう。
Instagram/X

【11/10(日)】

水平線
2018年、大学の仲間で結成、京都を中心に活動中。ギターボーカルが2人、ベース、ドラムの4人組。一方ではブリットポップ /90sUK ロック色の渋めの音楽もありながら、他方ではメロディーにフックのあるポップソングもあり、幅広くロックを鳴らしている。こだわり抜かれたメロディーやコード、さらには4人が織りなす4声の爽やかで厚みのあるコーラスワークに聴き手は思わず情景を浮かべてしまうだろう。
WEB/X/Instagram/Youtube


ANORAK!
2010年代に日本で起こったEMOリバイバルのシーン、バンドに刺激を受け、2019年にGt/Voの前田を中心に結成。その影響を強く感じさせた1st Albumは、全てのEMOファンに歓迎された。ギターワークなど英詞と日本詞が混合するスタイル、打ち込みとの同期やオートチューンを使ったボーカルとバンドサウンドの融合など、型にはまらずに独自の音楽を追求し続け、シーンの枠を超えてさまざまなバンドやイベントへのオファーがあり、1,000人規模のライブにも参加。海外からの注目度も高く、2023年以降海外のバンドのジャパンツアーを数多くサポートした。そんな中、多くのバンドやアーティストと共演していく中で興味を持ったDTM、ビートメイクを主軸に作られた2nd Full Album“Self-actualization and the ignorance and hesitation towards it” はEMOとダンスミュージックを結びつけるひとつの金字塔であると確信している。ANORAK!節とも言えるメロディーの美しさはそのままに、シーケンスとの融合で時にはスーパーローを鳴らして、あるいはマッシブなキックで、聴衆の魂を揺らしてくる。トゥインクルなツインギターワークはもちろん、この2年ひっぱりだこだったライブを経て鍛え上げられたリズム隊については、録音の手法からこだわった。ライブのMCでも前田が言うが、「踊る」ことを意識して音楽の帯域などを学び、習得していく中で作られた本作を携えて、2024年9月からはASIA6カ国9公演、USA14公演ものWORLD TOURを敢行。2025年には同アルバムのJAPAN TOUR も予定している。是非今後のANORAK!をチェックしていただきたい。
WEB/Instagram/X/Youtube/Spotify


山内街子(弾き語り)
静岡出身のシンガーソングライターのマチャが前身バンドであるシヴァネコを経て、2024年5月より始動したソロプロジェクト。作詞作曲からアートワーク、映像制作に至るまで、幅広くセルフプロデュースを行い、老若男女を問わない親しみのあるメロディと、「タイムカプセル・ガチャポップ」と称した、時代を超えてレトロで新しい、 都会的でノスタルジアな世界観で、ジャンルや時勢を意識しない独自普遍のポップを追求する。
WEB/X/Instagram

▼出演アーティストのプレイリストはこちら↓からどうぞ!
2024.11.9,10 SOCIAL TOWER MARKET (Spotify)

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2024年10月31日
DAITO CURRYプレゼンツ!SOCIAL TRUCK & PARKS スペシャルコラボカレー
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11/9(土),10(日)に栄オアシス21で開催する「SOCIAL TOWER MARKET」。昨年、大好評だった変態スパイスギーグの DAITO CURRY氏によるコラボカレーが再来します!

今回も最高な二組お声掛けいただき、肌寒くなってきた季節にぴったりな心も体も温まる美味しいコラボカレーをお楽しみいただけます。なんというか、ガツンとくる真夏に食べたくなるようなカレーもだいすきですが、寒い時期に出汁が香るような柔らかく、優しいカレーはすごく日本人らしく、そして DAITO さんの人柄を表しているな〜といつも思います。

出店場所:SOCIAL TRUCK&PARKS(出店番号:120)

この日限りのコラボカレーですので、完売の可能性があります。是非お早めに。カレー好きの皆様も、昨年食べそびれた方も、お腹を空かしていらしてください!お待ちしております。



11月9日(土)
HAKUI × DAITO CURRY



料理家松山たけしの『HAKUI』と、ながしのカレー屋 『DAITOCURRY』のスパイスユニットが最結成!

“美味しいが分かる“新感覚スパイスカレーと、桑名の食材をつかった“懐かしいけど新しい”和印折衷カレーのスパイスプレートをつくります。

11月10日(日)
BAGAWAAN CURRY × DAITOCURRY



本場大阪でも異彩を放つ『BAGAWAAN CURRY』が名古屋初出店!今回限りの限定メニュー『あわびバターカレー&食感にんじん大根の付け合わせ』と、DAITO CURRYの『桑名産海苔が香る蛸キーマ』の、海鮮スパイスプレートをつくります。

また、同時に「MUSIC BOOTH」を設置し、DJスペースを解放しておりますのでグッドミュージックと共にお楽しみください!


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2024年10月16日
テレビ塔のある街を走ろう!「Run with SOCIAL TOWER MARKET」
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2024年4月のオアシス21、そして10月の名古屋城でも開催したMinato Running Clubさんによるランニング企画を11月も開催いたします!

■イベント詳細
SOCIAL TOWER MARKETにてランニングイベントを開催。オアシス21をスタートして、名古屋の中心をぐるりとランニング!!ランニングと言っても速く走るものではなく、おしゃべりを楽しみながら走るコミュニティランです!オアシス21をスタートして、名古屋の街を周ります。ランニング後には、ワインコミュニティのSUNDAY WINE CLABさんが飲み物を用意してくださいます。

走ったあとは、みんなで乾杯!そして、MARKETを楽しんでください!(ノンアルもご用意しております)



また、「Run with SOCIAL TOWER MARKET」実施にあたり、イラストレーターでありデザイナーのCONVENIENCE YOUNGさんとのコラボグッズ(ロングTシャツ/キーホルダー)を限定販売します!この機会に、ぜひ名古屋のまちを一緒に走りましょう!!



開 催|2024年11月10日(日)*雨天中止
集 合|オアシス21(東区東桜1-11-1)Minato Running Clubブース
対 象|小学生以上
参 加|500円(ドリンク付)
募 集|30名程度

*Minato Running Clubブースにて荷物の預かり・更衣室をご用意しております。

事前にドリンクをお聞きするため下記フォームから参加申込みをお願いします。
お申し込みはこちらから!

▼スケジュール
受 付|11:00-11:15
準 備|11:00-11:30
開 始|11:30-

*1キロ6~7分ペースで、ゆっくりランニングします。

コース|オアシス21-若宮大通公園-白川公園-御園座


ナビゲーター|Minato Running Club
Run with port, Respect for sports, Accept all people.をコンセプトに、2022年2月から名古屋市の港区で毎週水曜日にグループランをしています。ランニングだけでなく、名古屋の港まちを盛り上げるべく色々なジャンルの方と一緒に走りたいという気持ちからクラブを発足しました。
IG:@minatorunningclub_ngo

グッズデザイン|CONVENIENCE YOUNG
山形出身。文化服装学院 工科専門課程 卒業。 2019年に活動を始め、CDジャケットやショップロゴ等も手掛ける。 便利な物に溢れ、埋もれそうになりながらも自分という存在を主張する。 「CONVENIENCE YOUNG/コンビニエンス ヤング」という意味は「便利な時代に生まれた若者」。
IG: @convenienceyoung

コラボグッズ:




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2024年10月15日
【PEOPLE】“人の「愛する」という気持ちは、性別を超えて存在するもの” 勝崎慈洋 / 24PILLARS [複合施設]
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MARKETや街で今気になる人に話を聞く「PEOPLE」第7回は、公開空地を活用するイベント「THE PLACE OF WALKABLE CITY NAGOYA」にご協力いただく「24PILLARS」を運営する会社「DaLa木工(ダラモッコ)」代表、勝崎慈洋さんにお話をうかがいました。勝崎さんは自己紹介をする際に必ず「とよぴーと呼んでください」とおっしゃるので、以下、とよぴーと記載させていただきます。



― はじめにご出身とこれまでについて教えてください。
とよぴー:生まれは緑区の鳴海ですが父の転勤で岐阜県に引っ越して、幼少期は多治見で過ごしました。幼い頃の私は小さくて細くて大人しくて。朝礼で倒れるような、いわゆる虚弱タイプでしたね。高校まで岐阜県で過ごしたのですが、幼い頃から名古屋に思い入れがあり、大学進学を機に春日井市でひとり暮らしを始めました。

― 名古屋ではなく春日井に住むことになったのですか?
とよぴー:はい。正確にいうと、名古屋だと思っていた場所が春日井だったんです(笑)。でもどうしても名古屋に通いたくて、バイトは名古屋市内で探していました。そんなある日、金山駅構内を歩いていたら、畳2畳分ぐらいの小さなCDショップが目に留まりました。その瞬間に「ここで働きたい!」って思ったんです。もともとCDショップへの憧れもありましたが、何よりそこで働くお姉さんがとってもかっこよくて。思わず「ここで働かせてください」と声をかけてしまいました。



― そこで働くようになったのですか?
とよぴー:そのお姉さんに「この店はもうすぐ裏のビルに移転するけど、そっちでなら働けるよ」と言われて、私はその移転先でアルバイトを始めることになりました。それが私とCD・レコードショップ『GROOVE(グルーヴ)』との出会いです。そのビルというのが金山駅南口のすぐ前にある4階建で建物で、1棟まるっと『GROOVE』としてCDやレコードを販売していました。もともと私自身音楽好きだと自負していたのですが、そこには私よりも遥かに音楽に精通した変態的な人がいっぱいいて、面食らったのもいい思い出です(笑)。この時一緒に働いていた仲間は今でも大切な存在ですね。
ちなみに、最初に私が金山駅構内で声をかけたエキセントリックで素敵なお姉さんは、今は大須で彫り師をしていて、私の身体にもいくつか素敵な絵を入れてもらっています。ここでかっこいい大人たちに囲まれて、私の人生も大きく変わりました。

― 具体的にはどう変わったのでしょうか?
とよぴー:私は大学で電子工学を学んでいてバリバリの理系だったのですが、『GROOVE』での生活が楽しすぎて就職活動はせず、そのまま正社員になりました。そして時が経ち、かつて18歳で入った私も28歳に。その10年で世の中の流れも変わりました。CDやレコードから音楽配信に移行していく中で、私自身、将来に不安を感じるようになったんです。それで「何か手に職をつけなくては!」と思い、木工職人を目指すことにしました。



― 木工職人ですか? 急ですね!
とよぴー:幼い頃に岐阜で行った社会科見学で、木工職人さんたちに会ったことが強く印象に残っていて、手に職といえば木工だなって。住み込みで木工を学べる場所が岐阜にあったことを思い出して、そこへ面接に行きました。「私は木工の職人になるんだ」って!

― そこからとよぴーさんの人生の第2章が始まるのでしょうか!
とよぴー:面接には落ちました! 落ちてしまったらしょうがないですよね。でも生きていくためには働かなければならない。住み込み仕事は諦めて、コンビニで転職雑誌を読み漁っていたら「一緒に木工作業をしませんか」という文字を見つけて・・・。私の転職先が決定しました。パチンコ台を作る木工所です。

― なんと! 転職はいかがでしたか?
とよぴー:数ヶ月前まで『GROOVE』で遊ぶように仕事をしていた人間が、突然おじさんたちに囲まれて木の粉まみれになりながら仕事をするんです。無謀も無謀です(笑)。当時の私の髪型はアフロのようなドレッドヘアで、木の粉が髪の毛に付くと絡まって洗っても全然取れなくて大変でした。なにより、職人さんの仕事って繊細さが求められるうえに危険と常に隣り合わせなんです。木を加工する機械も、気をつけないと指なんて簡単に吹っ飛んでしまう。色んな感情が重なって、働き始めて1ヶ月くらいがたった時にとうとう「もう辞めます」と根をあげました。
すると社長から「せっかく入ったんだから営業をやらない?」と声をかけてもらったんです。それで、その木工会社で営業職として働くことになりました。こうして自分の木工職人の夢は途中で挫折したこともあり、職人さんたちのことは本当に尊敬しています。この気持ちは、今でも私の仕事をする上での大切な軸となっています。





― ひとつひとつが今のとよぴーさんを作る基盤になっているのですね。
とよぴー:ただ、時代の流れでパチンコ台を作る仕事も徐々に減っていき、会社の経営は厳しくなっていました。ラッキーなことに、私たちの会社はパチンコ関連の仕事がない時は、オリジナル家具を製作していました。幸いその家具の売り上げは好調だったんです。そこでオリジナル家具を主軸にして、会社を引き継げないかという話が持ち上がりました。で、誰が会社を引き継ぐんだと。その時私は一番下っ端だったのですが、他の方々はみんな家のローンを抱えていたりして、会社を引き継ぐのはあまりに重荷だということで。最終的に消去法で私が引き継ぐことになったんです(笑)。なので会社は一番下っ端の私を筆頭に、上司3名と一緒に立て直していくことになりました。私が35歳の時の話です。とはいえ1年半後にはその工場は跡形もなく消えるんですけどね。

― え!? どういうことでしょうか・・・。
とよぴー:忘れもしない、会社を立て直し始めて1年半ほど経った12月25日クリスマスのお昼のことです。ここまで本当にみんなで頑張ってきました。だからその日は「せっかくクリスマスだし、ちょっといいものを食べよう」って、会社のみんなでお昼ご飯にトンカツを食べに行ったんです。その帰り道、会社の方で黒煙が上がっているのが見えました。こんな時期に野焼き?って。でもそれは野焼きではなく、火事でした。私たちの会社が燃えていたんです。「膝から崩れ落ちる」の言葉の意味を身をもって感じました。通帳と印鑑とPCだけなんとか運び出したものの、会社は全焼。消火活動が全て終わった頃には夜になっていました。みんなで頑張ってきた何もかもが焼け落ちました。それでも次の日は朝8時に集合しようと約束して帰路についたんです。

― 会社を建て直し始めて1年半ですか・・・。
とよぴー:当時私は結婚していて、2歳と5歳の子どもがいました。会社が火事で全焼しようが、家に帰ると私は父親です。妻と子どもと一緒に味のしないクリスマスケーキを食べました。そのあとお風呂に入って寝ようと思ったのですが、体は疲れているはずなのに炎が脳裏にこびりついて全く寝られないんです。寝られないのなら仕方がない。新しい工場でも探してみるかと、不動産のサイトを漁っていました。そこで見つけたんです、素敵な空き物件を。小さい希望の光を見つけた気がしました。次の日朝一番の業務は、みんなで新しい物件を見に行くことにしました。その時に見つけた場所で、今に続く再スタートを切ることになります。



― 波乱の数年間だったのですね。会社を立ち上げ直し、それが1年半で全て焼け落ちる。そしてそこからの再建。
とよぴー:火事で会社が燃えてしまいましたが、同時に私の「羞恥心」も一緒に燃えて消えたみたいで。ここで、少し私自身の話をしてもいいでしょうか。

― ぜひお願いします。
とよぴー:私は男性として生まれました。でも物心ついた時から好きになるのは男の人でした。それでも自分がトランスジェンダーだとバレたら全てが終わると思い、それまで隠して生きてきました。ワイルドな雰囲気を作ったり、髪の毛は長くても髭は生やしたりして。いつかバレるかもしれないという不安は常に感じていました。でも火事で全てが燃えた時に、羞恥心も一緒に消えたみたいで「もう何も隠す必要はない」と思えたんです。既に私には子どもが2人いるので、もう「身体的な男性としての役割は必要ないんじゃないか」とも思って。それで性転換手術を受けたいと妻に相談しました。火事の半年後のことでした。
今となっては妻に「騙された」と言われたりもしますが、彼女も当時は本当に辛かったと思います。対外的には普通の家族としてやってきていたので。なので妻には本当に感謝しています。



― 会社として火事は大きな出来事ですが、とよぴーさんの人生のターニングポイントにもなったのですね。
とよぴー:そうですね。私の母は4姉妹の中で育ったこともあってか、男の子である私を育てるのに少し苦労した部分もあったようです。そのせいかはわかりませんが、幼少期は姉のお下がりの服を着たり髪を長くしたりと、姉と同じように育てられました。でもなぜかスカートだけは履かせてもらえませんでした。それが不思議で仕方なくて。
小学4年生のときに姉の履いているスカートが羨ましくて、自分の気持ちを両親に伝えてみたんです。するとそれ以降、今まであまり家にいなかった父が家にいることが増えました。いつか薬師丸ひろ子になれると思っていた私の髪型は坊主になり、父からは「男はガニ股で歩くものだ」と教えられました。そんな親の教育もあって、中学1年生になる頃には男らしく振る舞えるようになっていました。もう周りで私に「男らしくしろ」と怒る人はいませんでしたね。



そんなある夏休みのお昼に家でテレビを見ていたら、画面の中で綺麗な女性の格好をした男性が司会者と一緒に踊っていました。あれは「笑っていいとも!」だったかな。そのシーンに私にとても大きな衝撃を受けました。「東京に行けば私もニューハーフになれるんだ」。その想いだけでその夜、貯金箱を抱えて東京を目指して家を飛び出しました。でも、田舎から来た中学生の私には名古屋駅の複雑な電車の乗り換えなんてわかりません。新幹線の乗り方がわからずフラフラしているところを警察に補導され、夢半ばで家に帰って来ました。もしあの時スムーズに電車に乗れていたら、東京に行けていたら、「家出のニューハーフ」として一世を風靡していたかもしれませんね(笑)。



性転換手術って、施術をする年齢が若ければ若いほど、より女性らしく男性らしくなるそうです。私は手術をするタイミングが遅かったので、錦で働く綺麗なニューハーフの人たちに会うと、綺麗でいいな、妬ましいなって思うこともあります(笑)。だけど、妻と結婚して家庭を持って子どもができた時、これが自分の人生で良かったって思えたんです。幼少期に父から「男はこう歩くものだ!」と教えられたガニ股歩きも、男としての生き方も、あの時期があったから今があるのかなって。正解はわからないけれど、でもとても幸せなことだなと。自分のこれまでを認めることができた気がしました。
でも実はいまだに実家に帰る時には男性らしくしていたりします。けれどそろそろ両親にも伝えられるといいなと思っていて。こうして自分のことをお話しているのも、記事を読んで遠回しに知ってもらえたらいいなという思いもあります。

― 今もご家族で暮らされているのですか?
とよぴー:もちろんです。今も妻と子どもたちと一緒に暮らしていますし、ずっと変わらず愛しています。子どもとはジェンダーの話もします。最近、愛するってどういうことか、自分なりの答えがわかった気がするんです。私は、妻と子どもたちの命が助かるのであれば、喜んで自分の命を差し出せる。この気持ちが愛なのかなって。いくらかっこよくてタイプの人がいたとしても、その人のために命は投げ出せませんからね(笑)。人の「愛する」という気持ちは、性別を超えて存在するものだと私は思います。



― とよぴーさんの人生やこれまでの経験が、今の大切な生活に繋がっているのですね。日常や仕事で大切にしていることはありますか?
とよぴー:ん〜、そうですね・・・。「初動の勢い」でしょうか。基本的に私はコツコツ計画を立てるタイプではないのですが、その分「やりたい!」という気持ちをベースに、初動の速さは大切にしています。人って何かを始めようとする時に、ついネガティブなイメージを同時に持つことがあると思うのですが、できるだけそれは考えないようにしています。この場所を作る時も、そんな初動の勢いは大切にしていました。
あと、疲れた時や落ち込んだ時はアンパンマンのうたを歌うようにしています。『もし自信をなくして くじけそうになったら いいことだけ いいことだけ 思い出せ』って! いい歌詞ですよね!







― 初動の勢いを大切にされていたのですね! 24PILLARSができる時のことも詳しくお伺いしたいです。
とよぴー:新しい工場での仕事が落ち着いてきた頃、会社の忘年会で「職人が一般の方に向けてワークショップできる場所を作りたい」という話が出たんです。それなら場所は、かつて『GROOVE』があった金山がいいなって。それで車でこの高架下を通っているときに今の物件を見つけました。すぐにJRに問い合わせたところ「場所の価値を高めたいので、人が集まるような所にしたい。工場や倉庫としての利用はNG」と言われて。そこで、自分たちがイメージしていた職人が輝けるファクトリースペースに併設する形で、ショールームとしても機能するカフェとギャラリーを始めることにしたんです。
ちなみに私が『GROOVE』時代に一緒に働いていた、音楽やカルチャーの知識が変態的にすごい磯村というスタッフが数年前から「DaLa木工」に加わっているのですが、24PILLARSが今のような複合的な形になったのも磯村の感性が生きていたりします。本当に全てが今に繋がっているんですよね。





― 24PILLARSも、これまでのとよぴーさんの人生や繋がりがあったからこそできた、思いの詰まった場所なのですね。ここを作る際に大切にしていたことはありますか?
とよぴー:全て手作業であるということでしょうか。私の会社で制作している家具は、基本的に全てオーダーメイドです。「こういうものが欲しい」というお客さまのイメージに寄り添ったものを、ひとつずつ職人の手で大切に作っています。この場所や自分たちの活動を通して、職人たちの魅力やかっこよさをもっと社会に伝えていくことができるといいなと思っています。
そうした思想は料理やワイン、ビールなどのセレクトにも繋がっています。例えばドリンク類は、ナチュラルワインやクラフトビールなど、人の手によって丁寧に作られたものを選ぶようにしていますし、料理も旬の食材を美味しく味わえるメニューを開発しています。







― お話を聞いて、もっと違った角度からも24PILLARSを楽しめそうです。そういえば最初に、とよぴーさんは名古屋に思い入れがあるとおっしゃっていましたが、その理由は何でしょうか?
とよぴー:実は子どもの頃に家族でよく名古屋に遊びに来ていたんです。父が中部電力で働いていたので、『でんきの科学館』にはよく連れて行ってもらいました。岐阜から名古屋への旅は、私にとってちょっと特別な感じがしていて、すごく好きだったんです。だからこそ「THE PLACE OF WALKABLE CITY NAGOYA」の会場が『でんきの科学館』だと聞いて、とても楽しみです!

― その話を聞くと私たちも嬉しいです! さて、とよぴーさんのこれからの夢や、やりたいことはありますか?
とよぴー:あまり計画を立てるタイプではないのですが、ひとつだけ。かつて私が夢中になった『GROOVE』のあった街、ここ金山をもっと盛り上げていけたらいいなと思います。昔このあたりには老舗のクラブ「RADIX」もあって、今より活気がある時期もありました。その時のように音楽やお酒を楽しめたり、ふらっと美味しいものを食べたりする場所がもっと増えたら嬉しいですね。



― 素敵です! 最後に、とよぴーさんの名古屋でよく行く場所を教えてください。
とよぴー:錦にある『水中花』というスナックのようなお店です。ここには店主のジョージさんに会いにいきます。ジョージさんは、昔テレビで司会をされていたり雑誌でご自身のページを持っていたりと、当時から私の憧れの人です。今は、そんなジョージさんとお店でお話をしたり、お酒を飲んだりできるのがとても嬉しいです。ジョージさんはとにかくファッショニスタで、数えきれないほどの衣装を持っていらっしゃいます。いつかジョージさんのクローゼットを展示する企画展「ジョージクローゼット」を開催してみたいな。あ、これも私のいつかやりたいことですね(笑)



24PILLARS
愛知県名古屋市中区金山3-4-16
◎Instagram
月火11-21/木金11-23/土日9-23/水曜定休日

→「PEOPLE」掲載リスト一覧を見る

Text:Hiyori Sakakibara(THE SOCIAL)
Photo:Eri Yamamoto(THE SOCIAL)

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2024年10月11日
SOCIAL TOWER MARKET 2024@オアシス21 秋ビジュアルのご紹介
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NOVEMBER


DECEMBER


APRIL


MAY


私が初めて『やまなみ工房』の作家の皆さんや作品と出会ったのは今から5年ほど前のことです。

「目・目・鼻・口」と合言葉のように繰り返しながら、ただ真っ直ぐに粘土に顔を描き続ける人。キャンバスいっぱいに描かれた、虫眼鏡で見ないとわからないほど、小さなイラスト。「障がい」とか「アート」とか難しいことはよくわからないけれど、「なにこれ?すごくかっこいい」と圧倒されたことだけは鮮明に覚えています。

そしてこの度、春と秋、4回のオアシス21でのMARKETのビジュアルを、やまなみ工房の4名の作家さんにお願いすることになりました。

ユニークで、思わず笑ってしまったり「なんだこれは」と息を呑んだり、人にとって感じ方や捉え方も違うと思います。その違いすらも楽しんで、世代、人種、枠組み、概念、障がい、人を隔てる境界線を一旦置いて、年4回、表情の変わるビジュアルを楽しんでみてください。

『やまなみ工房』の作家さんの手がける作品むちゃくちゃかっこいいです。

『やまなみ工房』について
滋賀県甲賀市にある福祉事業所『やまなみ工房』には、数多くの作家(利用者さん)が在籍します。墨汁に浸した割り箸を片手に、寝そべって人物を描く人。1日のうちに2分だけ、クレヨンで線を書く人。お気に入りのビビットピンクのウィッグを頭に、大好きな歌を口ずさみながらボタンを縫い付ける人。同じ形の手のひらサイズの地蔵を、10万体以上作る人。筆を取る理由も、作品をつくるタイミングも、「絵を描くことが好きかどうか」でさえも人それぞれ違います。ただ、「好き」という気持ちに、自分に真っ直ぐな、作家さん自身の魅力が、作品のパワーが、誰かの心を温めてくれたらといいなと思います。

SOCIAL TOWER MERKET
スタッフ 榊原ひより







作家プロフィール
[NOVEMBER]

岡元 俊雄 OKAMOTO TOSHIO
1978年生まれ 滋賀県在住 1996年から『やまなみ工房』に所属 トラックが大好きな彼が、ある時からドライブ中に見た車を絵や陶土で表現するようになった。現在ではトラックに限らず、人物や風景画等、雑誌や画集をモチーフに墨汁と割り箸1本のみを使用して次々に作品を生み出してゆく。モチーフ全体を見ながら素早く筆を走らせ全体像を描き上げると、描いた線上を流れに添って何度も何度も塗り重ねる。飛び散った墨汁の滴や擦れ合わさった線が絵に躍動感をあたえていく。いつも、ひとりお気に入りの音楽を聴きながら、寝転がり肩肘付いて描く様が、彼のスタイルである。

[DECEMBER]

鎌江 一美 KAMAE KAZUMI
1966年生まれ 滋賀県在住 1985年から『やまなみ工房』に所属 思いを人に伝えるのが苦手な彼女は、コミュニケーションのツールとして振り向いて欲しい人の立体を作り続けている。モデルはすべて思いを寄せる男性。最初に題材を決め、原形を整えると、その表面全てを細かい米粒状の陶土を丹念に埋め込んでいく。完成までに大きな作品では約2か月以上を要する事もあり、無数の粒は作品全体を覆い尽くし様々な形に変化を遂げていく。大好きな人に認めてほしい。今もなお、その思いが彼女の創作に向かう全てである。

[APRIL]

森田郷士 MORITA SATOSHI
1978年生まれ 滋賀県在住 1997年から『やまなみ工房』に所属
画集や図鑑から描くものを探し出し、構成を考えながら鉛筆で下描きをすると、その後は黒のボールペンでたくさんの点と線を使いモチーフを塗り込んでいく。その手の動きには迷いがなく、衝動的に描いている様にも見えるが、単調にならぬ様場所によって描き込みの密度に変化をつけており、緻密な点と線は重なり合い陰影を作りながら構成されていく。モチーフの中で影のように蠢く黒い点と線は平面的でありながら、今にも動き出しそうである。

[MAY]

上土橋勇樹 KAMITSUCHIBASHI YUKI
2001年生まれ 2020年から『やまなみ工房』に所属
絵画を始めたのは3歳頃、最初は英語を描き始め、様々なフォントに興味を持つ。 拳を握るようにペンを持ち描かれる文字列は、その直線と曲線の書体からカリグラフィーを連想させるが、作品毎に雰囲気は異なり、時にはコマ割りの中に文字と人物が登場し、彼の頭の中の世界が表出されている。 自身の座席とパーソナルスペースを行き来し、文字を描いては席を離れ、身体をバレエダンサーのピルエットのように回転させては再び席に着いて文字を紡いでいる。 小学1年よりパソコンに興味を示し触り始める。自宅ではキーボードとマウスを使用し、複数のパソコンソフトを使い分けグラフィックデザインを行なっている。

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2024年10月10日
13年目のSOCIAL CASTLE MARKET 2024 @名古屋城 ありがとうございました!!!
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今年も年1回の名古屋城での「SOCIAL CASTLE MARKET」が無事に終了いたしました!
遊びに来てくださった皆さま、素敵な出店者&出演者の皆さま、メインビジュアルを手掛けてくださったZECSさん、名古屋城の皆さま、ステージ&音響チーム、レンタルチーム、関係各所の皆さま、そしてボランティアスタッフさん&ソーシャルコアスタッフチーム!本当にありがとうございました!

今回は、直前まで天気予報の傘マークと目が合う日々…。準備を進めながらも不安で白目になり、神頼みの域で前日に有名パワースポットに行きがっしり手を合わせるなど(笑)できることは全てしました!てな感じで迎えた当日は予報がハズレまくり、曇りを通り越して、陽射しが強烈な晴天でしたー。あの日名古屋城にいた全ての人が、雲を跳ね除け太陽を呼ぶパワーを持っていたとしか思えないほどの素晴らしいお天気でしたね!(と、日焼けしまくった顔で書いています)

今年のSOCIAL CASTLE MARKETには、1日目15,000人、2日目17,000人、2日間で約32,000人の方のご来場がありました。本当にたくさんの方にお越しいただき、感謝いたします!

今回、広場エリアではパルコ55周年のスペシャル企画を展開していました! 全国8都市(札幌・仙台・池袋・名古屋・心斎橋・静岡・広島・福岡)の若手スタッフの皆さんが、胸を張ってお勧めする名店30店舗と、各地に所縁のあるアーティストさんが集結していたPARCOエリアは、これまで脈々と培ってきたパルコさんのカルチャーを育む力を目の当たりにした気分でした。

思えばパルコさんにはずっとカルチャーやファッション、アートなど色々なことを教えていただいておりまして(笑)個人的な話で恐縮ですが、初めて洋楽のCD(マイケル・ジャクソンのDangerous…)を買った(正確には祖母に買ってもらった)のは名古屋パルコさんでした。
高校生の時に少し緊張しながらお洋服を買いに行ったり、色々な音楽を知りたくてタワーレコードさんに通って雑誌やCDを買ったり、ギャラリーで憧れの人に会ったり…、パルコさんでの10代20代の記憶をあげだしたらキリがないのですが、私の今の好きなもの基礎をパルコさんに作っていただいたと言っても過言ではないなと思います。
そんな自分のカルチャー的な軸が今のこのPROJECTへもつながっているので、今回の企画は個人的にも本当に胸熱でした。一緒にお祝いをさせていただきありがとうございました!

名古屋城内には、他にも挙げ出したらキリがないほど、個性豊かな皆さんが全国から集まって軒を並べてくださっていました。お店以外にも、PARK & FORESTの2箇所の音楽ステージやポッドキャスト収録ブースもあったりと、どこも本当に盛り上がっていましたね! 東門、練塀、広場、正門、御深井丸と、今回のように名古屋城内の隅々までブースが並ぶようなイベントは他にはないので、くまなく『特別史跡 名古屋城』を散策していただけていたら嬉しいです。

そんなこんなで、今年で名古屋城での開催は5回目を迎えましたが…、5回やると、10回やりたくなるのは、何なんでしょうね(笑) 名古屋城にいる方々の素敵な表情を見ていたら、そんな気持ちがムクムクと出て来た2日目の午後でした。まだ色々と改善の余地はありまくりだと思いますが、もっともっとみなさんに愛していただけるような「社交場」を、これからも一緒につくっていけたら嬉しいです!

と言いながら、今月はまだまだ、『KITTE NAGOYA』と『でんきの科学館』の公開空地を使ったスペシャル企画「THE PLACE OF WALKABLE CITY NAGOYA」を開催します! そして11月と12月には恒例の『オアシス21』で今年最後の「SOCIAL TOWER MARKET」も。ぜひどちらもチェックして遊びに来てください! お待ちしています!

SOCIAL TOWER/CASTLE PROJECT
リーダー
青木奈美










































今年は過去最多(↑集合写真に写れなかった人も含む)のボランティアスタッフの皆さんにご参加いただきました!おかげで今回も笑顔があふれる素晴らしい社交場が作れました! 本当にありがとうございます! 秋も集合できるのを楽しみにしています!

PHOTO / AKIKO KIBE , MADOKA , MIYU

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2024年10月06日
【PEOPLE】“夫婦二人で楽しく続けていけたら” 村松和昌・佳世 / YANGGAO [タイカレー食堂]
NEWS

MARKETや街で今気になる人に話を聞く「PEOPLE」第6回は、毎年恒例となったSOCIAL CASTLE MARKET@名古屋城「YANGGAO×LIVERARY エリア」でもお馴染み「YANGGAO(ヤンガオ)」店主の村松和昌(MOOLA)さんと佳世さんに浄心にあるお店でお話をうかがいました。



― ヤンガオさんにはいろいろな場面でお世話になっていますが、初めて出店いただいたのはいつでしたかね?
MOOLAさん(以下、M):テレビ塔の下でSOCIAL TOWER MARKETが開催されていた、たしか2017年の秋頃、LIVERARYエリアで出店しました。まだお店のオープン前だったので、個人で出店してタイで買付けた古着なんかを販売していました。それから毎年出店していますね。

― いつもありがとうございます!今回は改めてお二人のルーツやこれまでのことなどを聞かせてください。
M:僕の生まれは名古屋です。父親が警察官で勤務地の移動が定期的にあったので、幼少期は各地を転々として、学生時代は岐阜県の多治見市で暮らしていました。実は、親戚もみんな警察官でわりと硬めの家系なんです。警察官になるという流れは僕で途絶えたんですけどね(笑)



佳世さん(以下、K):警察官家系なだけあってか、私よりも安全運転なんですよ(笑)
M:大学は名古屋造形大学で工芸デザインを専攻し、シルクデザインなどを学んでいました。学生時代はMacでクラブのフライヤーを作ったり、とても楽しかったですね。将来は漠然と自分の興味のあるデザイン関係の仕事につけたらな〜と考えていました。



― 音楽やカルチャーなどに興味を持たれたきっかけを教えてください。
実は、中学生の頃くらいから好きなもの、あまり変わっていないんですよ。僕の場合、雑誌の影響が大きくて。当時だと「asayan」や「CUTIE」の後ろの方のページで藤原ヒロシさんが連載していたファッションやカルチャーなどを紹介したコラムと同時にみうらじゅんさんのコラムがあったりして、雑誌の雑多な情報を一気に摂取する事が面白くて。インターネット黎明期だったので先輩がスクラップした過去の資料も見たりしていましたね。今好きなものは、その頃の好きだったカルチャーからの広がりのように感じます。音楽にしても、パンクとレゲエやヒップホップが繋がっていたりすることを体感する事によって自分の好きなファッション〜音楽〜カルチャーが繋がっていく感覚が、当時の僕にはとても新鮮で面白かったんですよね。







― ヤンガオさんといえばタイのカルチャーも魅力のひとつだと思うのですが、それも昔からお好きなんですか?
M:いえ。むしろ、タイはネガティブなイメージの方が強かったですね(笑)大学卒業後、デザイン会社で働いていたのですが、タイに支店があり僕はそっちに行くことになったんです。正直、はじめは「まじか」っていう感じでしたね。でも、現地に行ってタイの印象が180度変わったんです。

― どんなふうに変わったのでしょう?
M:たまたま僕の職場のあった周辺が、ミュージシャンやDJ、ファッション関係者などクリエイティブな人が多くいる場所だったんです。ある時、道を歩いていると「DJとかやれる?」って突然声をかけられたので「DJができるくらいのレコードは日本から持って来てるよ」と答えたら、その方のミュージックバーで毎週のようにDJをやることになって(笑)日本人は僕だけだったと思います。でも、それがきっかけで、平日はデザインの仕事をしながら、休日は現地の方に混ざってDJする生活がはじまったんです。それがとても刺激的で楽しくて「タイいいじゃん!」って。タイでの生活が3年目になるときに結婚して、佳世も一緒に暮らすようになりました。



― 佳世さんは結婚してタイへ移住することになったのですね。タイに行くことに躊躇したりはなかったですか?
K:前職で世界各国を回ったりしていたのもあり、まったくなかったですね。

― 佳世さんのこれまでのお話も聞かせてください。
K:私は小学2年生までは稲沢市で暮らしていました。その後、祖母の家に引っ越すことになり名古屋の浄心へ。大学は名古屋造形大学で、産業工芸デザインを専攻していて、MOOLAとはその頃からの付き合いです。大学卒業後はデザイン関係の仕事をしたいなと思い就職活動をしていたのですが、なかなかピンとくる会社がなくて。そんな時に、当時好きだった雑誌「relax」などで東京の「Landscape Products(以下 Landscape)」の存在を知りました。家具の会社なのですが、ファッションの企画展なんかもあったり幅広くやられていて、知れば知るほど興味が湧いてきてしまい、ダメもとでお店に行ってみようと東京の千駄ヶ谷にあったLandscapeのお店「Playmountain」に行きました。そこで、店長さんに「スタッフの募集はありませんか?」と尋ねたんです。



― Landscapeさんは、当時もすごく人気だったと思いますが、すぐ採用されたのですか?
K:いえいえ。当時のLandscapeは、会社の規模も今より小さく募集はしていませんでした。でも、店長さんが「履歴書を送ってくれたら見るよ」と言ってくれたので、名古屋に戻り履歴書を用意し、再び東京のお店に直接渡しに行きました。

― 郵送ではなく自ら届けるとは。働きたい意欲を感じてもらえたでしょうね。
K:その後しばらくは連絡なかったのですが、大学4年生の冬頃に連絡があり「正社員の募集ではないけど、3ヶ月間だけお台場でイベントをやることになったので、東京に来て手伝わないですか?」と声をかけてもらいました。他の会社で働く道もあったかもしれませんが、私は3ヶ月でもいいから憧れの会社で働いてみたいと、上京することを決めました。
3ヶ月間のイベントのお手伝いが終わる頃、会社の体制が変り継続して働かせていただけることになりました。そこから8年程在籍していました。主にお店の運営業務やオリジナル商品の企画などを行なっていましたね。代表の中原さんとも一緒に世界を見て回る機会も多く、その経験や繋がりは今も宝物です。なので、タイに移住することに対してもなんの躊躇もなかったです。実際、タイでの暮らしは楽しくて、名古屋に帰る予定もありませんでした。きっとこのままタイで暮らすんだろうなと思ってましたね。



― では、何がきっかけで帰国することになったのですか?
K:私がタイで暮らして3年ほど経った頃だったと思います。MOOLAの仕事で事務所の場所を引っ越して1Fを店舗、2Fをギャラリー兼事務所にしようという計画が出た頃、私の父の具合が悪くなってしまいました。それがこれからのことを考えるきっかけにもなりMOOLAから「日本に戻ろうか?」と言ってもらいました。
M:タイの事務所の移転計画にも興味がありいろいろ迷いましたが、そのタイミングで日本に帰ってお店をやることを決めました。



― それは現在ようなカレー屋さんをイメージしていたのですか?タイカレーの作り方はいつ学んだのですか?
M:漠然と飲食とカルチャー的なものがある場をつくりたいなとは思っていました。タイカレーは、僕のタイの友人のお母さんの友人のお家に通いながら教わっていたんです。

― え〜っと。なかなかのご縁のご縁ですね(笑)
M:今のヤンガオのカレーの師匠です。で、まずは一時帰国をしようと日本に帰ったのが2017年で、その時に古くからの友人のLIVERARYの武部くんから「出店しない?」と声をかけてもらい初めて出店したのが、SOCIAL TOWER MARKETでした。それから本格的にお店の物件を探し始め、その半年後ぐらいにはオープンしていましたね(笑)





― すごいスピード感。はじめから浄心あたりで物件を探していたのですか?
K:いえ。はじめは大須や栄で探していました。でも、なかなかいい場所がなくて頭を抱えていた時に、家の近くの浄心でも探してみたら今のビルに出会ったんです。駅から近いし、二人でやるにはちょうどいい広さで。オフィスビルで長らく空いていたこともあって「飲食もOK。天井も抜いていいよ」と言ってもらって。お店はMOOLAのデザインをベースに、Landscapeのチームにも手伝ってもらいながら作っていきました。とはいえ、お店がオフィスビルの3Fなので、当時担当してくださった大工さんがすごく心配して「壁壊しちゃうよ?やめるなら今だよ?」って何度も聞かれたりしましたね(笑)

― 私も初めてお店に来て階段を上がる時「ほんとにここなの?」とちょっとドキドキしました(笑)オープン当初から今のような人気だったのですか?
M:ぜんぜんです。はじめはお店の営業時間もどうしたらいいかわからなかったので、昼から夜中までロングランでやってました。誰もいない時間もあったり、夜はお店の空間が気持ち良いのか寝てる人もいましたね(笑)オープンして3ヶ月ぐらい経った頃、雑誌の「POPEYE」が取材してくれたんです。それが掲載されたぐらいから遠方からもお客さんが来るようになりましたね。





― ヤンガオさんはいつも賑わっているイメージがありますが、そんな時期もあったのですね。店名の「YANGGAO」の名前の由来をお聞きしてもいいですか?
K:タイ語で「いつも通り。相変わらず」みたいな意味です。はじめは「ヤンガオ」ではなく似た意味の「クーガオ」という名前にする予定でした。これは辞書に載っているような言葉ではなくて、昔の流行り言葉のようなものです。MOOLAの好きなタイのバンドSrirajah Rockersの曲名から来ています。
M:でも「クーガオ」って響き強めじゃないですか。◯◯◯戦隊「クーガオ!」みたいな(笑)それでタイの友人に相談をしたところ、似た意味で響もよい「ヤンガオ」という言葉を紹介してもらったんです。それが今の店名の由来です。





― 「いつも通り」っていいですね。お店でMOOLAさんや佳世さんがいつも通り笑顔で迎えてくれると嬉しくなります。あと、常に入れ替わるアパレルや雑貨などのオリジナルグッズも魅力のひとつですが、これらはいつ考えられているのですか?
M:10代の頃から色々作りたかったけど“自分の店がなきゃ意味がない”と思ってて、ずっと我慢してなので7年目の今でも製作意欲は爆発中です。朝6時くらいに起きて、犬の散歩中やカレーの仕込みしながら、習慣的にどんな物を作ろうか考えています。僕自身、モノやお土産が好きなんです。基本的に同じものは作らず、イベントなどでは、お客さんに喜んでほしいので新作を出せるようにしています。

― 今年のMARKETでも新作グッズはありますか?
M:もちろん、新作ありますよ。あと、昨年、即完売した韓国・釜山の「SOUND SHOP balansa」とのコラボグッズも。それと今年は、子供も参加できるniko and…とstudio VIICONによる「スペシャルワークショップ」の新企画もあります。うまくいけばいいな〜と僕たちもドキドキしています。



― 今年もいろいろ盛り上がりそうですね!楽しみにしています。ところで、お二人は今後やりたいことや目標みたいなものはありますか?
M:そうですね〜。これまで通り、夫婦二人で楽しく続けていけたらそれでいいです。「夫婦二人で無理なく楽しくやる」この考えはお店をスタートした時から大切にしているんです。



― ありがとうございます。いろいろ聞きたかったことが聞けました。これからもお二人のヤンガオな活躍を楽しみにしています!最後に、名古屋でよく行くお店や場所があったら教えてください。
K:西区の「万楽」ですね。ここは中休みがないのでランチ営業の後などにふらっと行きます。飽きのこない味でとても美味しいですよ。
M:僕はディスクユニオンFace RecordsGreatest HitsMusic Firstバナナレコードなど、中古レコード店に行くのがやっぱり大好きですね。新譜はオンラインで。レコードを買って聞いたことがない音楽に触れる事が何よりもリラックスになり、モチベーションを上げてくれます。

YANGGAO
愛知県名古屋市西区花の木3-13-23 クレスト浄心 303
◎Instagram
※営業日は公式インスタグラムでご確認ください

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Text:Hiyori Sakakibara(THE SOCIAL)
Photo:Eri Yamamoto(THE SOCIAL)

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