18回目のPEOPLEは、JAM’S TACOSのジャムさん。SOCIAL TOWER MARKETでは、沖縄タコスが楽しめる「JAM’S TACOS」としての出店はもちろん、音楽ステージの音響、そして最近では新しく始まったPODCAST BOOTHでもお世話になっています。
ー 本当にいつも多岐にわたってお世話になっています。そもそも、SOCIAL TOWER MARKETとはいつからのご縁だったのでしょうか。
2021年(※要確認)のSOCIAL CASTLE MARKETですね。よく覚えています。実は、それ以前にもSOCIAL TOWER MARKETに応募していたんですが、何度か選考に落ちていて(笑)だから初めてSOCIAL CASTLE MARKETに出られたことが嬉しかったです。当日は、自分の出店ブースに、名古屋城を背景にたくさんのお客さんが来てくださって。「なんていい景色なんだろう」って、胸がいっぱいになったことを覚えています。
ー 最初の出会いは、SOCIAL CASTLE MARKETでのご出店だったんですね。ジャムさんのタコスといえば沖縄タコスですが、ご出身は沖縄ですか?
出身は愛知県の岡崎です。生まれは田原市で、3歳のときに岡崎へ引っ越しました。そこから20代後半まではずっと岡崎で過ごしていましたね。
ー 沖縄ではなく岡崎だったとは!びっくりです。
出身は沖縄だとよく間違われます(笑)SOCIAL TOWER MARKETでも音響を担当させてもらうこともあるのですが、僕にとって音楽は昔からずっとそばにある、大切な存在です。本格的に音楽の世界に足を踏み入れたのは17歳くらいの頃ですが、振り返ってみると、音楽との最初の思い出は小学生の頃だったように思います。小学校の合唱コンクールの練習で、ある日すごく大きな声で歌ったことがあったんです。すると先生が、「上手だね、えらいね」って褒めてくれて。その日の夜、その話を母にしたら、母が僕以上に喜んでくれて。「かずくん、えらいね」って頭を撫でてくれたんですよね。今でも、そのときのことをよく覚えています。
ー 音楽の世界に足を踏み入れた、ジャムさんの17歳頃のお話も気になります!
当時は、今のように気軽に音楽を楽しめるクラブもなく、音楽のジャンルも今ほど細かく分かれていない時代でした。バーや美容室など、さまざまな場所でジャンルを越えて音楽が混ざり合うパーティーが開かれていたんです。そんな中、高校の同級生がそうしたイベントに関わっていて。その姿がとにかくかっこよくて、強く憧れを抱いていたものの、最初は自分に何か特別できることがあったわけではありませんでした。それでも、とにかくその場所に関わりたくて。チケットのもぎりをしたり、イベントの手伝いをしたりしながら、できることから少しずつ関わらせてもらっていました。
ー そこから、ジャムさんと音楽との毎日が始まったのですね。
改めて振り返ると、きっかけは、「目立ちたい」とか「モテたい」とか、本当にそんな感じだったような気がします。当時は今みたいにスマホで何でも調べられる時代じゃなくて、頼りになるのは雑誌だけ。『レゲエマガジン』を読んで、載っている和訳を見ながら、カタカナ英語で歌っていました(笑)でも、気づいたらどんどん音楽に夢中になっていて、音楽中心の毎日になっていました。気づいたら高校もやめていて。本当にどっぷりでした!
ー 高校を辞めるほどとは、本当に運命の出会いだったのですね!
そうですね。自分でもグループを組んで、歌うようになりました。実は、事務所にも所属していて、メジャーデビューも経験したんです。でも、なかなか思うような結果は出せなくて、鳴かず飛ばずでした。それでも、本当に音楽が大好きだったんです。歌うことも大好きで、30代を過ぎる頃までずっとアーティスト活動を続けていました。当時は、クラブOZONの音楽事業部に所属していて、事務所の皆さんには本当にお世話になりました。その事務所のチームが、とても素敵で、アーティスト活動をやめた後も、「いつかこんな人たちみたいなチームを作れたらいいな」と、ずっと思っていました。今振り返ると、僕はアーティストとして活動しながらも、どこか別の角度からその人たちを見ていたのかもしれませんね。
ー それだけ大切にされてきたアーティストとしての音楽活動をやめた理由はあるのでしょうか?
「やめどき」や「潮時」という言葉がありますが、僕自身は全然やめられなかったんです。悔しかったんですよね。やりたいのに、思うようにやれない。その状態がずっと続いていました。そんな中、僕にとっては「これが最後のチャンスかもしれない」と思えるような、CDを制作する機会があったんです。今思えば、もっといろいろな人を頼ればよかったのかもしれません。でも当時の僕は、それができなかった。全部、自分でやりたかったんです。結局、自分の作りたいものを思うような形にすることはできませんでした。諦めたというより、諦めざるを得なかった。それが、自分の中で音楽に一区切りをつけるきっかけになりました。
ー 「やめた」というより、「続けたかったけれど続けられなかった」という感覚ということでしょうか。
そうですね。アーティストとしての音楽活動をやめてから1年ほどは、あれだけ大好きだった音楽を、本当に聴けなくなってしまったんです。ただ、音楽事務所で感じていた「こんなチームをつくりたい」という想いだけは、ずっと心のどこかに残っていました。そんなとき、ひょんなことから「雑居ビルでBARをやらない?」と声をかけてもらったんです。「じゃあ、一緒にやろうか」と始めたのが、飲食との最初の出会いでした。あと、僕は機材オタクなんですよ。特に音響機材が大好きで、「音楽を作るなら自分の機材が欲しい」と思っていました。なので自宅にあった機材で、レコードスタジオみたいなものも作っていて、そんな活動もしていました。
ー 機材へのこだわりが、自然と次の仕事にもつながっていったんですね。
最初は本当に、趣味から派生したお小遣い稼ぎのつもりでした。でも、自分自身でレコーディングもできるし、CD制作もできるし、イベントも開催できる。もちろんアルバイトもしながらでしたが、少しずつレコーディングの仕事が収入につながるようになっていきました。BARでもイベントを開催したり、とにかく「かっこいいことがしたい」という気持ちが強かったんだと思います。今思えば、かなり調子に乗っていましたね(笑)そんなふうに、音楽やイベントに夢中になっていた頃、イベントをきっかけに初めて沖縄を訪れる機会がありました。そこで出会ったのが、沖縄タコスだったんです。それまでもタコスを食べたことはありましたが、特別よく食べるものではありませんでした。でも、そのタコスをひと口食べた瞬間、衝撃を受けたんです。「なんじゃこりゃ」って。
ー そこまで衝撃的な出会いだったんですね。
そうなんです。「なんでこんなに美味しいんだろう」「どうやって作っているんだろう」って、とにかく気になってしまって。そこからは、沖縄に行くたびに、1日に何度もあの衝撃を受けたタコス屋さんに通うようになりました。同じタコスをずっと食べていて、「おしっこの匂いがタコスになるんじゃないか」っていうくらい(笑)沖縄に行ったら、それしか食べていなかったですね。
ー まさかここで急にタコスの道に進むとは驚きです(笑)
そのうち、イベントのためではなく、タコスを食べるために沖縄へ行くようになりました。とにかく美味しくて、行くたびに毎回食べたかったんです。そんな生活をしばらく続けるうちに、「これ、自分でも作れないかな」と思うようになりました。沖縄まで行くには時間もお金もかかるし、自分で作れるようになったらいいなって。
ー “食べる側”から、少しずつ”作る側”への興味が生まれていったんですね。
でも当時は、今みたいに簡単に作り方を調べられる環境ではありませんでした。だから、「だったら沖縄で直接学ぼう」と思ったんです。ただ、当時の沖縄のタコス屋さんは家族経営のお店が多くて、なかなか作り方を教えてもらえませんでした。それでも、教えてくれるお店を探して、とにかく門戸を叩き続けました。そしたら、奇跡的に教えてくれるお店と出会えたんです。授業料を支払いながらの修行でしたが、本当に嬉しかったですね。それからは、2〜3か月に一度沖縄へ通って、修行をするようになりました。そして、自分のBARでもタコスを作るようになったんです。「うまいでしょ?」って言いながら、みんなに食べてもらっていました(笑)
ー 自分が感動したものを、誰かにも味わってほしいという気持ちがあったんですね。
そうなんです。作れるようになると、今度は誰かに食べてもらいたくなるんですよね。とにかくいろんな人に振る舞っていました。
そんなある日、修行していたタコス屋さんが、経営的な理由で閉店することになったんです。
ー せっかく出会えた大切な場所だっただけに、大きな出来事でしたね。
本当にショックでした。「こんなに美味しいんだから、お店を閉めないほうがいいですよ」ってもちろん伝えました。そしたら、まさかの流れで「じゃあ、引き継ぐ?」という話になって。結果的に、僕がそのお店を引き継ぐことになりました。
ー ええ! 沖縄のお店をですか?ジャムさんは名古屋で暮らしているんですよね?
そうです(笑)もちろん、税理士さんたちにも相談しました。でも、みんな大反対。「遠隔で経営なんて絶対やめたほうがいい」「うまくいっていないお店を、なぜあなたがやってうまくいくの?」そんなふうに言われました。でも当時の僕は、人の言うことを聞かなかったんですよね(笑)
「絶対大丈夫だから」って。反対する人には、実際にタコスを食べてもらって、「美味いでしょ?やるしかないよね?」なんて言いながら。
ー 美味しさへの確信が、それだけ強かったんですね。
でも、実際に引き継いでみると、やっぱりそんなに甘くはありませんでした。売上も思うようには伸びなくて。半年くらい経った頃、「これはさすがにまずいぞ」と思い始めたんです。そんなとき、東京に住んでいた幼なじみが遊びに来てくれました。
「もしよかったら、沖縄でタコス屋、一緒にやらない?」そう声をかけたんです。
ー そこから、一人ではなく二人でお店をやることになったんですね。
とはいえ、その後しばらく彼から連絡がなく、「やっぱり難しいかな」と半ば諦めかけていました。するとある日、突然「沖縄に行くね」と彼から連絡があったんです。本当に沖縄へ来てくれて。そこから二人三脚でお店をやることになりました。彼は、当たり前のことを本当に真面目に、丁寧に、一つひとつ積み重ねていく人でした。僕一人だったら、きっと続けられなかったと思います。彼と一緒にお店をやるようになってから、売上は3倍くらいになったんです。それまでの僕は、「美味しいものを作れば、きっと伝わる」と思っていた部分があったのかもしれません。でも彼は、掃除や接客、準備、片付けといった当たり前のことを、誰よりも丁寧にやっていたんです。彼がいたから今のお店があります。でも、そんな軌道に乗り始めた頃、今度はコロナ禍がやってきました。
ー 一難去ってまた一難・・・。
そうなんです。あれだけ人で賑わっていた国際通りが、一気にシャッター街のようになってしまって。本当に、コロナは「見えない敵」でした。すごく怖かったですね。でも、お店の家賃やさまざまな支払いは待ってくれない。気づいた頃には、借金の額も10倍くらいになっていました。しかも、僕自身は普段名古屋を拠点に仕事をしていたので、コロナ禍でも定期的に沖縄へ行かなければいけない状況でした。名古屋のスタッフからも「本当に行くんですか」と止められたりしていましたね。でも、嘆いていても仕方がない。だからこそ、昼の事業やMARKETの活動により力を入れるようになりました。その頃には名古屋にもお店があったんですが、BARやクラブは営業が難しい状況でした。そこで、タコスに力を入れることにしたんです。ちょうどそのタイミングで、Uber Eatsが広がり始めていて。「お店に行けないなら、デリバリーで」という流れもあり、うちのお店はそこで大きく伸びました。
ー 大変な状況の中でも、その時代に合わせて形を変えていったんですね。
そうですね。さらに、コロナ禍で人通りがなくなった国際通りで、ある空き店舗が出たんです。かなり広い物件だったんですが、「ここは勝負だ」と思って借りました。
ー その状況で新しい店舗を借りるというのは、かなり大きな決断だったのでは?
もともとは夜営業のお店として考えていたんです。でも、スケルトン状態から改装を進めていくうちに、想像以上にお金がかかってしまって(笑)「これは昼も営業しないとまずいぞ」と。もう、稼ぐしかなかったですね。そうして昼営業も始めました。2024年頃からはインバウンドも戻ってきて、少しずつ状況も変わってきました。今は、もう少しお店を大きくできないか、いろいろ計画しているところです。
ー ジャムさんの話を聞いていると、ピンチの時ほど大きな変化やチャンスが訪れているように感じます。
そうかもしれないです。あの時に動いていなかったら、今は確実になかったと思います。名古屋のお店も、もともとは2階のお店だけだったんですよ。ところが、コロナ禍のある日、ずっと空いていた自分たちのクラブの隣の物件を、大家さんが急にスケルトンにし始めて。「ラーメン屋さんが入る予定なんだよ」と聞いたんです。それはまずいな、と。せっかくコロナが落ち着いてきても、騒音などの問題が起きるかもしれない。苦情が来る可能性もある。それなら、「うちが借ります」と。そうして、タコスのお店ができました。
すると今度は、反対側の店舗でも似たような話が出てきて。「じゃあ、そのお店も僕が借ります」となって、立ち飲みのワインバーを始めることになったんです。別に店舗展開をしたいと思っていたわけではないんですよ。でも、気づいたら、そうせざるを得ない状況になっていくんです(笑)もう、修行ですよね。
ー 武者修行ですね・・・。
基本的に、思った通りにはいかない人生なんです(笑)名古屋のお店がある場所も、最初はあまり治安の良いイメージのエリアではありませんでした。だからこそ、「それでも来てくれる人」に向けて、客層をかなり絞って考えていたんです。でも実際に始めてみると、サラリーマンの方や女性のお客さんなど、本当に幅広い方に来ていただけるようになりました。それは、とても嬉しい誤算でしたね。
ー これからやってみたいことはありますか?
常に状況は変わっていくし、予定通りにいかないことのほうが多いので、これから先もきっと変わっていくとは思っています。
でも、今のところ大きく3つあります。まずひとつは、沖縄タコスの本場で勝負してみたいということです。
僕の大好きな沖縄タコスは、沖縄の中部エリアが発祥なんです。だからこそ、その本場の地域で、自分たちのタコスがどこまで通用するのか挑戦してみたいですね。もうひとつは、東京でやってみたいということ。やっぱり、日本で一番人が集まる都市で、自分たちのスタイルがどう受け入れられるのかを純粋に見てみたいんです。そして最後は、海外です。昨年は「世界ツアー」と称して、フィリピン、タイ、韓国へ行きました。知り合いの、そのまた知り合いへとつないでもらいながら、さまざまな場所でイベントや出店をさせてもらったんです。
ー 音楽をやっていた頃のツアーのような感覚にも近いのでしょうか?
そうかもしれませんね。違う国や場所でやることは、本当に面白かったです。もちろん味の勉強にもなりましたが、それ以上に、そのお店がどうやって生まれたのか、どんなルーツを持っているのかに触れられたことが大きかったですね。世界を旅しながら、自分たちを広めるというよりは、お互いに普段やらないことを一緒にやってみる。その中で、新しい発見が生まれたらいいなと思っていました。そういうことを考えるのが、もともと好きなんです。結局、イベントも、タコスも、音楽も、自分の中では頭の使い方は全部同じなんですよね。表現する方法が違うだけで、本質的には「何かをつくって、人と共有すること」なのかもしれないですね。
ー これまでいろいろな挑戦をされてきたジャムさんだからこその考え方のように感じます。
いろいろなことに挑戦してきた中で、きっと間違っていたこともたくさんあったはずです。でも、その「間違い」も含めてカルチャーなのかなって思うんです。正しいかどうかを考えすぎるより、とりあえずやってみる。失敗することもあるけれど、その経験も含めて次につながっていく。
だから、「間違えてもいいからやってみる」くらいの気持ちでいるんです。やったもん勝ち、みたいな(笑)
ー 「正解だからやる」ではなくて、「やりたいから、やってみる」なのでしょうか。
そうかもしてないですね。沖縄タコスなんて、まさにそうでした。本当にいろいろな人に止められました。「やめたほうがいい」って何度も言われました。でも、それでもやってきた。振り返ってみると、いつもそんなふうに、自分の気持ちが惹かれる方向に進んできた気がします。
ー 最後に、ジャムさんのおすすめのお店を教えてください。
ひとつは、新栄にある「このごろ」です。先輩のお店なんですが、とにかくめちゃくちゃ美味しいんですよ!おばんざいがずらっと並んでいて、それを見るだけでテンションが上がります。特におすすめなのは、山椒おにぎりですね。もうひとつは、「タベルコト喰事」です。こちらも本当に美味しくて。店主は僕より年下なんですけど、心の師匠みたいな存在なんです。
音楽も、タコスも、お店づくりも、人との出会いを大切にされてきたジャムさんらしいおすすめですね。本日はありがとうございました!
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