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2026年06月23日
【PEOPLE】“間違いも含めてカルチャーなのかなって” 朴木 一悦 / JAM’S TACOS[飲食店]
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第18回は、「JAM’S TACOS」や「STAND APRON」としてMARKETに出店いただいているOFFICE TRANSIT STUDIO / Jam & Co. 代表の朴木一悦(ほうのきかずよし)さん、通称「ジャムさん」にお話を伺いました。

ジャムさんには出店以外にも、音楽ステージの音響まわり、最近ではPODCAST BOOTHでもお世話になっていて、私たちにとってなくてはならない存在です。もしジャムさんがいなかったら、現在のような音楽ステージのあるオアシスでのMARKETは実現できなかったでしょう。

ー いつも多岐にわたって本当にお世話になっています。たしか、ジャムさんと初めてお会いしたのは、名古屋城のMARKETでしたよね?
はい。2021年のSOCIAL CASTLE MARKETです。実は、それ以前にもMARKETに応募していたんですが、何度か選考に落ちていて。だから初めてSOCIALに出られたことが本当に嬉しくて、よく覚えています(笑)当日は、想像以上にたくさんのお客さんが来てくださって、胸がいっぱいになりました。



ー 初出店なのにすごい行列でしたね。どんな方が運営されているんだろうと気になり、ご挨拶させていただきました。ジャムさんのタコスといえば沖縄タコスですが、ご出身は沖縄でしょうか?
いえ。出身は愛知県の岡崎です。生まれは田原市で、3歳のときに岡崎へ引っ越しました。そこから20代後半まではずっと岡崎で過ごしていましたね。沖縄出身とよく間違われます(笑)。



ー ずっと勝手に沖縄出身と思い込んでました(笑)。ところで、ジャムさんが音楽関係や音響などに精通しているのはなぜなんでしょう?
僕にとって音楽は昔からずっとそばにある、大切な存在です。音楽の世界に足を踏み入れたのは17歳くらいの頃ですが、振り返ってみると、音楽との最初の思い出は小学生の頃だったように思います。
小学校の合唱コンクールの練習で、ある日すごく大きな声で歌ったことがあったんです。すると先生が、「上手だね、えらいね」って褒めてくれて。その日の夜、その話を母にしたら、母が僕以上に喜んでくれて。「かずくん、えらいね」って頭を撫でてくれたんですよね。今でも、そのときのことをよく覚えています。




音楽イベントやパーティーに利用される「Bar VECTOR」

ー 褒めてもらったことって覚えてますよね。17歳で音楽の世界に入ったのは何かきっかけがあったのですか?
当時は、今のように気軽に音楽を楽しめるクラブはなく、ジャンルも今ほど細かく分かれていない時代でした。バーや美容室など、さまざまな場所で垣根を越えて音楽が混ざり合うパーティーが開かれていたんです。
そんな中、地元の同級生がそうしたイベントを企画していて、その姿がとにかくかっこよくて、強く憧れを抱いたのを覚えています。最初は自分に何のスキルもなかったのですが、とにかくその空間にいたくて、チケットのもぎりやイベントの手伝いをしながら、できることから少しずつ手探りで参加させてもらっていました。

ー パーティーやイベントなど、音楽のある空間が好きだったんですね。
振り返ると、きっかけは、「目立ちたい」とか「モテたい」とか、本当にそんな不純な動機だったような気もします(笑)。当時は今みたいにスマホで何でも調べられる時代じゃなくて、頼りになるのは雑誌だけ。『レゲエマガジン』を読んで、載っている和訳を見ながらカタカナ英語で歌っていました。でも、気がつけばどんどん音楽に夢中になっていき、生活のすべてが音楽中心になっていて。最終的には高校もやめてしまうくらい、本当にどっぷり浸かっていましたね。

ー 高校を辞めるほどとは。本当に運命の出会いだったのですね。
そうですね。自分でもグループを組んで歌うようになり、実は事務所にも所属してデビューも経験したんです。でも、なかなか思うような結果は出せなくて、鳴かず飛ばずでした。
それでも、とにかく音楽が大好きで、歌うことも大好きで、30代を過ぎる頃までずっとアーティスト活動を続けていました。当時所属していた、音楽事務所で僕は本当にたくさんの事を学ばせていただきました。その事務所のチームがとにかく素敵で、アーティスト活動をやめた後も「いつか自分も、こんな人たちみたいなチームを作れたらいいな」とずっと思っていたんです。今振り返ると、僕はアーティストとして活動しながらも、どこか客観的に彼らの背中を見ていたのかもしれませんね。


メジャー・インディーズバンドが出演するライブなども行われる「TRANSIT」



ー アーティストとしての音楽活動をやめた理由はなんだったのしょうか?
「やめどき」や「潮時」という言葉がありますが、僕自身は全然やめられなかったんです。悔しかったんですよね。やりたいのに、思うようにいかない。その状態がずっと続いていました。
そんな中、僕にとっては「これが最後のチャンスだ」と思えるような、CDを制作する機会が巡ってきました。今思えば、もっといろいろな人を頼ればよかったのかもしれません。でも当時の僕は、それができなかったし、まわりにそういう人もいなかった。全部、自分たちの力でやるしかない。って思ってた。
結局、自分の作りたいものを思うような形に昇華することはできませんでした。諦めたというより、諦めざるを得なかった。それが、自分の中で音楽に一区切りをつけるきっかけになりました。

ー 「やめた」というより「続けたかったけれど続けられなかった」という感覚でしょうか?
そうですね。アーティストとしての音楽活動をやめてから1年ほどは、あれだけ大好きだった音楽を、本当に聴けなくなってしまったんです。
ただ、音楽事務所で感じていた「こんなチームを作りたい」という想いだけは、ずっと心のどこかに残っていました。そんなとき、ひょんなことから「BARやるから手伝ってくれない?」と声をかけてもらったんです。「じゃあ、一緒にやろうか」と始めたのが、飲食のはじまりであり、現在も借りているユタカビルとの出会いでした。
あと、僕はもともと機材オタクなんですよ(笑)。特に音響機材が大好きで、「音楽を作るなら自分の機材が欲しい」と、自宅にレコーディングスタジオみたいなものを作ってしまうくらいでした。そうやって、音楽活動を続けながら、裏で音響まわりの活動も少しずつ始めていたんです。

ー 機材へのこだわりが、自然と次の仕事にもつながっていったんですね。
最初は本当に、趣味から派生したお小遣い稼ぎのつもりでした。でも、自分自身で音響やレコーディングもできるし、CD制作も、イベントの開催だってできる。もちろんアルバイトもしながらでしたが、少しずつレコーディングの仕事が収入につながるようになっていきました。
音楽活動を辞めたと同時に一度、この仕事も全て辞めたんですけど、BARをはじめたタイミングで、またあの頃を思い出して、色々な企画を仕掛けたりし始めました。当時の僕は自分の夢を叶えられなかったもんだから、それを叶えようととにかく「かっこいいことがしたい」という気持ちが強かったんだと思います。今思えば、かなり調子に乗っていましたね。
そんなふうに音楽やイベントに夢中になっていた頃、あるパーティーをきっかけに初めて沖縄を訪れる機会がありました。そこで出会ったのが、沖縄タコスだったんです。それまでもタコスを食べたことはありましたが、特別よく食べるものではありませんでした。
でも、そのタコスをひと口食べた瞬間、本当に衝撃を受けたんです。「なんじゃこりゃ!」って。


ぜひ食べてほしい「塩タコス」何個でも食べれるぐらい美味しくてやみつきになります

ー そこまで衝撃的な出会いだったんですね。
そうなんです。「なんでこんなに美味しいんだろう」「どうやって作っているんだろう」って、とにかく気になってしまって。
そこからは、沖縄に行くたびに、1日に何度もあの衝撃を受けたタコス屋さんに通うようになりました。もう、同じタコスをずっと食べすぎて「そのうちおしっこの匂いがタコスになるんじゃないか」っていうくらい(笑)。
沖縄に滞在している間は、本当にそれしか食べていなかったですね。

ー まさかここで急にタコスの道に進むとは驚きです(笑)
そのうち、イベントのためではなく、タコスを食べるためだけに沖縄へ行くようになりました。とにかく美味しくて、行くたびに毎回食べたかったんです。そんな生活をしばらく続けるうちに、「これ、自分でも作れないかな」と思うようになりました。沖縄まで行くには時間もお金もかかるし、自分で作れるようになったら最高だなって。




オリジナルの配合でつくられたこだわりの生地。さっと揚げることで、サクフワな食感に

ー “食べる側”から、少しずつ”作る側”への興味が生まれていったんですね。
でも当時は、インターネットで簡単にレシピを調べられるような時代ではありませんでした。だったら、「沖縄で直接学ぶしかない」と思ったんです。
ただ、当時の沖縄のタコス屋さんは家族経営のお店が多くて、なかなか製法を教えてもらえませんでした。それでも、教えてくれるお店を探して、とにかく門戸を叩き続けました。そしたら、奇跡的に受け入れてくれるお店と出会えたんです。授業料を支払いながらの修業でしたが、本当に嬉しかったですね。それからは、2〜3ヶ月に一度沖縄へ通って、修業を重ねるようになりました。
そして、自分のお店でもタコスを作るようになったんです。「うまいでしょ?」って言いながら、無理やりみんなに食べてもらっていました(笑)。

ー 自分が感動したものを、誰かにも味わってほしいという気持ちがあったんですね。
そうなんです。作れるようになると、今度は誰かに食べてもらいたくなるんですよね。とにかく色んな人に振る舞っていました。
そんなある日、修業していたタコス屋さんが、経営的な理由で閉店することになったんです。

ー せっかく出会えた大切な場所だっただけに、大きな出来事でしたね。
本当にショックでした。「こんなに美味しいんだから、お店を閉めないほうがいいですよ」ってもちろん伝えました。そしたら、まさかの流れで「じゃあ、引き継ぐ?」という話になって。結果的に、僕がそのお店を引き継ぐことになりました。それが40歳になる前ぐらいだったと思います。


ジャムさんのまわりにはいつも笑顔で素敵なスタッフの皆さんがいっぱい

ー ええ!沖縄のお店をですか? ジャムさんは名古屋で暮らしているんですよね?
そうです(笑)。もちろん、税理士さんたちにも相談しました。でも、みんな大反対。「遠隔で経営なんて絶対やめたほうがいい」「うまくいっていないお店を、なぜあなたがやってうまくいくの?」そんなふうに言われました。
でも当時の僕は、人の言うことを聞かなかったんですよね(笑)。「絶対大丈夫だから」って。反対する人には、実際にタコスを食べてもらって、「うまいでしょ? やるしかないよね?」なんて言いながら。

ー 美味しさへの確信が、それだけ強かったんですね。
でも、実際に引き継いでみると、やっぱりそんなに甘くはありませんでした。売上も思うようには伸びなくて。半年くらい経った頃、「これはさすがにまずいぞ」と思い始めたんです。
そんなとき、東京に住んでいた幼馴染が遊びに来てくれました。「もしよかったら、沖縄でタコス屋、一緒にやらない?」そう声をかけたんです。

ー そこから、一人ではなく二人でお店をやることになったんですね。
とはいえ、その後しばらく彼から連絡がなく、「やっぱり難しいかな」と半ば諦めかけていました。するとある日、突然「沖縄に行くね」と彼から連絡があったんです。本当に沖縄へ来てくれて。そこから二人三脚でお店をやることになりました。
彼は、当たり前のことを本当に真面目に、丁寧に、一つひとつ積み重ねていく人でした。僕一人だったら、きっと続けられなかったと思います。彼と一緒にお店をやるようになってから、売上は3倍くらいになったんです。
それまでの僕は、「美味しいものを作れば、きっと伝わる」と思っていた部分があったのかもしれません。でも彼は、掃除や接客、準備、片付けといった当たり前のことを、誰よりも丁寧にやっていたんです。彼がいたから、今のお店があります。
でも、そんな軌道に乗り始めた頃。今度は、コロナ禍がやってきました。




沖縄の国際通りにある「JAM’S TACOS」1階はテイクアウト、3階はイートインの2フロア構成

ー 一難去ってまた一難……。
そうなんです。あれだけ人で賑わっていた国際通りが、一気にシャッター街のようになってしまって。本当に、コロナは「見えない敵」でした。すごく怖かったですね。
でも、お店の家賃やさまざまな支払いは待ってくれない。気づいた頃には、借金の額も20倍くらいになっていました。しかも、僕自身は普段名古屋を拠点に仕事をしていたので、コロナ禍でも定期的に沖縄へ行かなければいけない。名古屋のスタッフからも「本当に行くんですか」と止められたりしていました。
でも、嘆いていても仕方がない。だからこそ、昼の事業やイベント出店などに力を入れるようになりました。その頃には名古屋にもお店があったんですが、BARやクラブは営業が難しい状況。そこで、タコスに力を入れることにしたんです。ちょうどそのタイミングでUber Eatsが広がり始めていて、「お店に行けないなら、デリバリーで」という流れもあり、うちのお店はそこで大きく伸びました。

ー 大変な状況の中でも、その時代に合わせて形を変えていったんですね。
そうですね。さらに、コロナ禍で人通りがなくなった国際通りで、ある空き店舗が出たんです。かなり広い物件だったんですが、「ここは勝負だ」と思って借りました。

ー その状況で新しい店舗を借りるというのは、かなり大きな決断だったのでは?
もともとは夜営業のお店として考えていたんです。でも、スケルトン状態から改装を進めていくうちに、想像以上にお金がかかってしまって(笑)。「これは昼も営業しないとまずいぞ」と。もう、稼ぐしかなかったですね。そうして昼営業も始めました。
2024年頃からはインバウンドも戻ってきて、少しずつ状況も変わってきました。今は、もう少しお店を大きくできないか、いろいろ計画しているところです。

ー ジャムさんの話を聞いていると、ピンチの時ほど大きな変化やチャンスが訪れているように感じます。
そうかもしれないです。あの時に動いていなかったら、今は確実になかったと思います。
名古屋のお店も、コロナ禍のある日、ずっと空いていた自分たちのクラブがある物件の1階を、大家さんが急にスケルトンにし始めて。確認したら「ラーメン屋さんが入る予定だと」と言われ、これはまずいと思いました。せっかくコロナが落ち着いてきても、騒音などの問題が起きるかもしれないし、苦情が来る可能性もある。それなら「うちが借ります」と。そうして、今の場所に「JAM’S TACOS名古屋」ができました。
すると今度は、反対側の店舗でも似たような話が持ち上がって。「じゃあ、そのお店も僕が借ります」となって、立ち飲みのワインバー「STAND APRON」を始めることになったんです。別に店舗展開をしたいと思っていたわけではないんですよ。でも、気づいたら、そうせざるを得ない状況になっていくんです(笑)。もう、修業ですよね。




定番の「塩タコス」に加え、いろいろな創作タコスも食べれる「JAM’S TACOS名古屋」

ー 武者修業ですね……。
基本的に、思った通りにはいかない人生なんです(笑)。
名古屋のお店がある場所も、最初はあまり治安の良いイメージのエリアではありませんでした。だからこそ、「それでも来てくれる人」に向けて、客層をかなり絞って考えていたんです。でも実際に始めてみると、サラリーマンの方や女性のお客さんなど、本当に幅広い方に来ていただけるようになりました。それは、とても嬉しい誤算でしたね。

ー これからやってみたいことはありますか?
常に状況は変わっていくし、予定通りにいかないことのほうが多いので、これから先もきっと変わっていくとは思っています。でも、今のところ大きく3つあります。
まずひとつは、沖縄タコスの本場で勝負してみたいということ。僕の大好きな沖縄タコスは、沖縄の中部エリアが発祥なんです。だからこそ、その本場の地域で、自分たちのタコスがどこまで通用するのか挑戦してみたいですね。
もうひとつは、東京でやってみたいということ。やっぱり、日本で一番、世界中から人が集まる都市で、自分たちのスタイルがどう受け入れられるのかを純粋に見てみたいんです。
そして最後は、海外です。昨年は「アジアツアー」と称して、フィリピン、タイ、韓国へ行きました。知り合いの、そのまた知り合いへとつないでもらいながら、さまざまな場所でイベントや出店をさせてもらったんです。



ー 音楽のライブツアーみたいですね!すごい!
そうかもしれませんね。違う国や場所でやることは、本当に面白かったです。もちろん味の勉強にもなりましたが、それ以上に、そのお店がどうやって生まれたのか、どんなルーツを持っているのかに触れられたことが大きかったですね。
アジアを旅しながら、自分たちを広めるというよりは、お互いに普段やらないことを一緒にやってみる。相手のお店さんの世界観やこだわりを教えてもらい、僕はその土地の食材を使ってそのお店の限定タコスを作る。その中で、新しい発見が生まれたらいいなと思っていました。そういうことを考えるのが、もともと好きなんです。
結局、イベントも、タコスも、音楽も、自分の中では頭の使い方は全部同じなんですよね。表現する方法が違うだけで、本質的には「何かをつくって、人と共有すること」なのかもしれないですね。


いつも笑顔でやさしいジャムさん。この日も「お疲れでしょう」とビールをごちそうに。

ー これまでいろいろな挑戦をされてきたからこその考え方ですね!
きっと間違っていたこともたくさんあったはずです。でも、その「間違い」も含めてカルチャーなのかなって思うんです。正しいかどうかを考えすぎるより、とりあえずやってみる。失敗することもあるけれど、その経験も含めて次につながっていく。
だから、「間違えてもいいからやってみる」くらいの気持ちでいるんです。やったもん勝ち、みたいな(笑)。

ー 「正解だからやる」ではなくて、「やりたいから、やってみる」なのでしょうか。
そうかもしれないですね。沖縄タコスなんて、まさにそうでした。本当にいろいろな人に止められました。「やめたほうがいい」って何度も言われました。でも、それでもやってきた。
振り返ってみると、いつもそんなふうに、自分の気持ちが惹かれる方向に進んできた気がします。


SOCIALの打ち上げ&忘年会でも利用する「LUGGEGE」毎回サプライズな演出に感動

ー 改めて、ジャムさんにお話をお聞きして本当によかったです!いい映画を見終わった後のような気分になりました(笑)。最後に、ジャムさんが名古屋でよく行くお店を教えてください。
タベルコト喰事」というお店です。本当に美味しくて。店主は僕より年下なんですけど、お料理の師匠みたいな存在なんです。

音楽も、タコスも、お店づくりも、人との出会いを大切にされてきたジャムさんらしいおすすめですね。本日はありがとうございました!これからもSOCIALをよろしくお願いします!

Kazuyoshi “jam” Hounoki
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愛知県名古屋市中区栄4-7-17ユタカビル
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沖縄県那覇市牧志2-4-14 カカズ産業国際通りビル 3F
JAM’S TACOS 国際通り店

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Text:Hiyori Sakakibara(THE SOCIAL)
Photo:Eri Yamamoto(THE SOCIAL)+ジャムさん提供

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