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2024年12月26日
【PEOPLE】“愛してくれる人に来てほしい!”丹羽洋己・レイコ / KAKUOZAN LARDER[ハンバーガー屋]
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MARKETや街で今気になる人に話を聞く「PEOPLE」第9回は、今秋に覚王山の揚輝荘で開催されたKAKUOZAN RUSSELL MARKET(以下、ラッセル)も記憶に新しい「KAKUOUZAN LARDER」(以下、ラーダー)店主の丹羽さんとレイコさんにお話をうかがいました。



― ソーシャルメンバーとラーダーのお二人との出会いは2013年、MARKETのポスターを配布していた時のことだったとか。
レイコさん(以下、レイコ):そうなんです。ある日、突然お店にポスターを届けていただいたんです。それが、以前から知っていた「SOCIAL TOWER MARKET」のもので、嬉しかったですね。
丹羽さん(以下、丹羽)翌年、MARKETに出店したいと思ったのですが、ニューヨーク行きの予定と日程が重なっていることに気づいて、迷った末に「MARKETに出店したいけど、ニューヨークに行くので出店できません」と連絡しました。出店はできないけど、気持ちは伝えておこうかなって(笑)

― そうだったんですね! 私たちソーシャルとラーダーさんは、ほぼ同じ時期にスタートしたんですよね。12〜3年経った今、思うことや考えていることなど、いろいろお話を聞かせてください。
まずは、丹羽さんのラーダーはじめる前のことお聞かせください。ご出身はどちらですか?

丹羽:名古屋市の東区・東桜で育ちました。いわゆるシティーボーイってやつです(笑)

― 都会っ子ですね! 子供の頃や学生時代に影響を受けたことなどはありますか?
丹羽:父親が商業デザイナーで、家に事務所があったのですが、そこでよく父が音楽を聴いていたりしてて。その影響もあってか、気づいた頃には音楽が好きになっていました。あと、高校生の頃はアルバイトをしてお金を貯めて、週末には大須にあった中古レコードショップの『円盤屋』やCDショップを巡り歩いていました。20歳くらいまではそんな日々を過ごしていたと思います。あと、実は、音楽活動もしていたんですよ。

― 音楽活動ですか?!
丹羽:中学の頃から友達とバンドを組んでいて、24歳くらいまで活動していたんです。「ALL OF THE WORLD」というバンドでギターを担当していました。リリースしたアルバムをサカナクションの山口一郎さんが「影響を受けた1枚」に選んでくれたこともあって、めちゃくちゃ嬉しかったですね。

― なんと!それはすごいですね。その他にも今につながっているような経験があれば教えてください。
丹羽:僕にとって音楽の聖地というか憧れの地はニューヨークで、20歳になる頃、バイトを掛け持ちして貯めたお金で半年間留学しました。でも、ニューヨークといっても実際に住んでいたのは、マンハッタンから1時間くらい離れた田舎の方でして・・・。思っていたニューヨークとは少し違いましたね(笑)それでも週末にはマンハッタンに行きライブを観りたりしてました。ただ、ライブの開催場所と暮らしていた場所があまりにも離れていたので、終わる頃には終電もなくて、公園で野宿して夜を明かしたこともありました(笑)



― その頃のニューヨークの公園での野宿はスリリングすぎますね!(笑)
丹羽:僕もそう思います(笑) ニューヨークでの経験は、今のお店づくりや場所づくりにすごく活きていると思います。自由な雰囲気に心惹かれたんですよね〜。帰国してからは、CDやレコードを取り扱う『HMV』で働きはじめ、玲子とはそこで出会いました。バンドの活動も続けていたのですが当時の僕は、ほかのメンバーと足並みを揃えることがあまり得意ではなくて(笑) 最終的にバンドは解散しちゃいました。でも、音楽はやめられなくて「5人は無理だったけど2人ならどうかな?」って2人組のバンドをはじめたんですけど、それも上手くいかなくて・・・。それで、きっぱりと音楽をやめることにして、バンドも『HMV』も辞めました。

― よく決断できましたね・・・。それから音楽活動はまったくしていないのですか?
丹羽:はい。ギターもケースにしまい、まったく触っていません。その時に思ったんです。僕のやりたいことは「場所を作ること」なのかなって。あの自由で大好きな土地、ニューヨークのような。

― なるほど。そこから今のお店へとつながっていくのですね。
丹羽:はい。ニューヨークのあの自由でオリジナリティーあふれる雰囲気を、自分でも作りたいなって思ったんです。で、場所を作るなら飲食かな・・・?って。それには資金も料理の知識も必要だから、まずはそこを補おうと。で、玲子と二人でめちゃくちゃ飲食店のバイトを掛け持ちしました。僕が6つ、玲子が3つ、合わせて9つのバイトをしていましたね(笑)



レイコ:とにかく本当に忙しくて。それに、バイト先はどこでも良かったわけではなくて、しっかりと飲食の知識もつけたかったので、2人それぞれが働く飲食のお店の系統が被らないよう調整もしました。1日で何店舗かをハシゴしたりして。丹羽くんは1日3店舗勤務は当たり前で、48連勤したこともあったよね(笑)。しかもちょうどその時期に物件選びも始めたので、本当にハードで。「この生活いつまで続くの・・・」って思うような、しんどい時期もありましたね。

― 48連勤って凄すぎます。思い描くビジョンに向かってまっすぐ進んでいかれている姿、本当にかっこいいです!
これまでも、2015年にPARCOでやったCITY(S)&PARK(S) KIOSK や、2018年のSOCIAL TOWER MARKETで展開してくださったスペシャルエリアのOUTPOSTの時も、来る人みんなの記憶に残る空間づくりに感銘を受けました。
ちなみにお店の場所は、初めから覚王山エリアで考えていたのですか?

丹羽:いえ、全然そんなことはなかったです。東山線沿線で探していて、ふらっと覚王山に来たとき、「あ、この街いいな」って感じました。当時の覚王山は、何色にも染まっていない雰囲気があって、それがとても魅力的だったんです。だから、ここで何かできたらいいなって。とはいえ、最初から地元の方々にすぐ受け入れてもらえたわけではありません。まずは2年間、毎朝『挨拶運動』から始めて、少しずつ地域の方々に受け入れてもらえたかなって思いますね。今では覚王山という場所にも本当に深い思い入れがあります。ちなみに、僕たちのお店の正式名称は『KAKUOZAN LARDER(カクオウザン ラーダー)』なんですけど、東京では略して『覚王山さん』って呼ばれてるんですよ(笑)



― 略されて、前しか残ってないですね(笑)覚王山を背負っていらっしゃる! ところで、長くお店をしていて、変わらずに大切にされていることはありますか?
丹羽:お店を始めたときからずっと大切にしていることは「自分たちがやりたいことしかやらない」っていうのと「ラーダーを愛してくれる人に来てほしい!」ってことですね。そういう人たちには倍返しって気持ちでいつもいます(『半沢直樹』古いでしょうか(笑)) 僕は、お店に来てくれた時点でもう半分は友達みたいなものだなと思って、それくらい大切にしたいなって。だから、お店の外に看板もないし、写真付きのメニューも置いていないんです。私たちの発信を見て来てくれる人たちをちゃんと大切にしたくて。あと、料理に関しても絶対妥協しない。「必ず美味しいものを届ける」っていうのが私たち2人の鉄の掟です。とはいえ、最初は暇すぎて覚王山駅前でチラシを配ったりしていた時もあったんですけどね(笑)


ハチミツをかけながら食べるハニーハラペーニョクリームチーズベーコンのハンバーガー。新感覚で病みつきになります。


豊橋“石田茄子”産トゲなし茄子、モッツァレラチーズ、グリルドトマト、パルメザンチーズのハンバーガー。肉厚な茄子がたまりません。

― ずっと賑わっているイメージですが、最初はそんな時期もあったんですね。
丹羽:お店をはじめた当初は今みたいにインスタグラムもなく、SNSもあまり普及していなかったので、広報は本当に大変でした。暇すぎて玲子と「モクモクファーム(以前のバイト先)の同僚60人全員が来てくれたらいいのにね」なんて話していたくらいです(笑)
でも、私たちが大切にしていたのは、ただの飲食店ではなく、ニューヨークのような自由な雰囲気を感じられる『場所』を作ることだったんですよね。初期の頃は、DJイベントやライブを開催すると200人くらいお客さまが来て、店内がぎゅうぎゅう詰めになるんだけど終わるとみんな帰っちゃう、みたいなこともありました。それも素敵な思い出ですが、「DJやライブは楽しんでくれてるけど、これって『場所』を楽しんでくれているのとは少し違うのでは?」って感じるようになって、やめました。それからも試行錯誤しながらいろいろと実験的なイベントは開催しています。

― どのイベントも毎回楽しませてもらっています! 併せてお店の外観や内装が変わると聞くたびに、次はどうなるのかも毎回ワクワクしています。
丹羽:今ので改装は4度目です! 最初はレンガの壁だったのが、次に紺、そして青にして、今は一旦「ゼロに戻そう」って白にしてます。ちなみに、青にした時に、隣のお店との壁を取っ払ってひとつの空間にしちゃったんです。でも今は、また壁を戻しても面白いかな?って思ったりして(笑)狭かった頃のお客さんと近い感じも良くて。お店の空間も含めて、色々と変化を楽しんでもらえていたら嬉しいですね。







― いつも変わらないお二人がいる安心感がありつつ、次はどうなるの?と期待させ続けている姿勢が、ラーダーさんがみんなに愛される理由なんだろうなと思います。今年は新たに覚王山の揚輝荘でMARKETイベントを開催されましたが、その経緯を教えてください。
丹羽:実は、僕たち、揚輝荘に行ったのは昨年が初めてだったんです。存在自体は2〜3年前から知っていたのですが、1年365日ずっとラーダーにいるので、なかなか行くきっかけがなかったんですよね。でも昨年、ふと「行ってみようか」となり、到着してびっくり! 僕たちが初めて覚王山に来た時に感じた、あのゆったりとした空気感がそのまま残っていて、本当に素敵な場所でした。それで「こんな場所で何かできたらいいのにな」と思っていたら、数ヶ月後に「この場所でイベントをやらないか」というお誘いが来たんです。驚きますよね。開催は11月と決まっていましたが、正式なお話が来たのは9月。開催まであと2ヶ月。でもどうしてもやりたくて、「ここらで本気を出そう!」と。こうして『ラッセル』が実現したんです。





― 普段はゆったりとしながらも厳かな空気を感じる揚輝荘に、多くの人が和気藹々と集まる姿を初めて見ました。都心とは思えないのんびりできる空間に素敵なお店が集まり、お客さんが思い思いに楽しんでいて、とてもいい時間が流れていましたね。

丹羽:『ラッセル』には、覚王山のお菓子屋さん『fika』さんをはじめ、普段イベントに参加することの少ない覚王山のお店の方々にもご参加いただきました。準備を一緒に進めていく中で、新しい友達ができたみたいでとても嬉しかったですね。揚輝荘という特別な会場でゼロから『ラッセル』という場所を作り上げることができたのは、私たちにとって大きな経験でした。自分たちの作りたかった世界観を形にできたのかなと思っています!『ラッセル』を作るときに大事にしたのは、ラーダーに普段来てくださる方々に楽しんでもらいたいという気持ちはもちろんですが、覚王山で暮らしている地元の人たちにも愛される場所を作ることでした。

― 地元の方たちにも楽しんでいただくのは大切ですね。来年も開催されるか気になっている人も多いと思いますが、いかがですか?

もちろん、来年もしたいと思っています! エリアも拡大して、できれば揚輝荘の隣の『日泰寺』でライブなんかもできたらいいなと。継続して開催していくことで、地元の方々にも愛されるものにしていきたいです。







―『ラッセル』をきっかけに、覚王山の街を巡る機会にもなるので、すごくいいですね! ほかにもお二人が今後やってみたいことや目標などあれば教えてください。
レイコ:本当にここまで毎日やることが沢山で、とにかく走り続けてきたなと思います(笑)これからの目標は、まずはラーダーをこれからも続けていくこと。小さくても濃い空間を作っていきたいです。
丹羽:ラッセルをきっかけに、揚輝荘でホステルもやってみたい。みんなで朝ごはんを食べたり、日常を持ち込むような場所を作りたいです。そのための第1歩としてもベッドメイキングの修行をしなければと話しています(笑)



― 揚輝荘で朝ごはんは贅沢ですね。今は非日常的な空間のイメージですが、そこで日常を感じられたら本当に素敵ですね。その日が来るのを楽しみに待っています! 最後に、よく行く名古屋のお店があれば教えてください。
丹羽:先ほども言いましたが、僕たち1年365日のうち、365日、休みの日もラーダーにいるんですよね(笑)だからラーダー・・・! そのほかだと・・・やっぱり今池の中華料理屋さんの『ピカイチ』ですかね! スタッフの人の感じも良いし、美味しいし、長く続いていて歴史もある。友人が遊びにきて、お店を紹介する時も『ピカイチ』によく行きます。絶対みんな気に入ってくれるので、間違えたことはないですね(笑)

KAKUOZAN LARDER
愛知県名古屋市千種区覚王山通9丁目14
Instagram
木〜日曜日:11:00-15:00(LO14:30)
土曜日のみ:18:00-21:00(LO20:30) ディナーも営業
定休日:火、水

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Text:Hiyori Sakakibara (THE SOCAIL)
Photo:Eri Yamamoto(THE SOCIAL)

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